プーチン大統領、暗殺の危機


プーチン大統領、暗殺の危機

投稿:2021/07/12

予想:2019/01/01 〜

2019年、プーチン大統領、暗殺の危機

妄想、感想

ロシア、プーチン大統領が自身のSP(警護官)により暗殺されるという予言だそうですが、2019年にそのような暗殺は起こっていません。

ロシアの暗殺事情について定かではありませんが、反プーチン勢力による暗殺未遂が幾度かありました。
過去の暗殺未遂
・2000年2月24日
サンクトペテルブルクでのアナトリー・サプチャークの葬式時。

・2000年8月18~19日
ヤルタでの非公式のCISサミット時。
国外からの情報により、チェチェン人4人とアラブ人数人を拘束。

・2002年1月9~10日
アゼルバイジャン、バクーの公式訪問時。
アゼルバイジャン国家保安省により阻止されている。キャナン・ロスタムが逮捕、懲役10年。キャナン・ロスタムはアフガニスタンで訓練を受け、チェチェン独立派と関係を有するイラク人。

・2008年3月2日
モスクワでのロシア大統領選当日。
ロシア連邦保安庁(FSB)が直前に阻止。現場からはライフル銃やカラシニコフ銃などが発見され、タジク人1名を逮捕。

・2012年2月27日
チェチェン共和国などの出身の男2人がイスラム過激派の武装勢力の指導者の指示を受けてウクライナで爆弾の製造など暗殺計画を進めていた、ロシアとウクライナの捜査当局による別の爆発事件に関連した調査から発覚。
(2012年にあった、ロシア大統領選挙用パフォーマンスとしてのリークと見解もある。)

暗殺未遂としては確認できているだけで結構な数があり、出回っていないだけの暗殺計画はかなりの数あるでしょうね。。
にしても、ロシアからの独立を願っているチェチェン共和国がそこそこ絡んでいるのは、仕方がない事なのかもしれません。
また、暗殺未遂事件の数と併せ、プーチン大統領が暗殺者や政治的な敵対者に対し、逆に暗殺を目論んだ噂も多くあります。
噂の内容は、基本的に毒を盛る所から始まり最終的に射殺という流れが多い。

チェチェン

チェチェンは石油が取れる土地であったり、交通面としても戦略的な立地条件の良い位置にあります。

チェチェン紛争の経緯
・ソ連の支配下であったが、1922年にはチェチェン自治州となり、1936年にはチェチェン・イングーシ自治共和国となる。

・1943年、ドイツ軍に加担したとしてスターリンによって中央アジアに強制移住させられる。

・1957年に民俗の帰国が許可、自治共和国が再建される。

・ロシアは認めてはいないが、1991年11月に独立国家を宣言しドゥダエフが大統領に就任。

・1994年12月、ロシア軍が攻撃開始し内戦状態になる。

・1996年4月、ドゥダエフの戦死、同年8月に和平合意が成立し、選挙で穏健独立派のアスラン・マスハドフが大統領に選任された。

・1997年1月、ロシアは依然独立を認めていないが、ロシア軍がチェチェンから撤退。

・1999年9月にロシア軍による空爆が開始され内戦化。当時の穏健独立派のマスハドフ大統領は追放され、親ロシア派のアフマト・カドイロフがチェチェン地域の行政長官を立てた。(ロシアはチェチェンを国と認めていないので、チェチェン大統領の代わりとしてロシアのチェチェン地域の行政長官という具合)

・2003年10月、共和国大統領選挙でカドイロフが大統領に選任されるが、翌年2004年5月にテロで倒れ、後釜としてアルハノフが当選。(チェチェン独立派からはロシアに操られた人間として認められずににはいる)

・2005年3月、穏健独立派の元大統領、マスハドフ司令官が戦死する。

・2006年7月、対ロシアテロ活動の指導者シャミル・バサエフ野戦司令官は、ロシア連邦保安局の作戦によって死亡。

チェチェンの独立派としたら、現在のプーチン大統領だけでは済まされない、80年近く続くチェチェンとロシアの関係に安らぎなんて皆無だったでしょう。この紛争にはロシアの闇を感じざるをえません。
ロシアの大統領というだけで、他国の大統領と比較できない領域で「常に暗殺の危機」という事は間違いないでしょうね。

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