ダイアナ妃が死去する


ダイアナ妃が死去する

投稿:1997/08/30

予想:1997/08/30 〜 1997/08/30

1997年、ダイアナ妃が死去する。
(関係者が彼女の予言を集め、後日発表と思われる。)

勝手に広げて妄想、感想

ダイアナ妃(プリンセス・オブ・ウェールズ)
イギリスの名門貴族の令嬢として生まれる、1981年にチャールズ皇太子と結婚し、ウィリアム王子、ヘンリー王子が生まれる。しかし後にチャールズ皇太子と別居、1996年に離婚する。離婚の翌年1997年にパリで交通事故で死亡。
※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

深夜(0:30頃)の運転中にパパラッチのカメラによるフラッシュで視界を奪われたか、他車を避けようとして運転を誤ったかで、中央分離帯のコンクリートに衝突、速度は135〜150キロ出ていたと言われている。

ダイアナ、恋人アルファイド、運転手、ボディガードの内、シートベルトをしていたボディガードであり唯一生存。(実はボディガードもシートベルトしていたかアヤフヤ)
アルファイド、運転手は衝突により即死、ダイアナ妃は心肺停止状態で事故30分後に救急隊員の心臓マッサージを受ける、容体が安定しないので病院へ搬送を躊躇する事40分、ようやく救急車へ乗せゆっくり病院へ向かう、しかし血圧低下があった為病院前で5分程度車を停車。
事故から約80分後、病院にて処置が行われるが午前4時に医師による死亡宣告された。

過去の審問にて、ダイアナ妃の医療処置を調査した教授の証言には「ダイアナ妃は点滴の管を自ら抜く程興奮していた」との証言もあるそうですが、その場合意識があったとなるが、、本当のところは不明。

実はダイアナ妃は事故直後、複数箇所の骨折と肺の奥に傷があっただけで、肺の損傷を病院で早めに処置できてさえいれば死に至る事はなかったとも言われている。
※事故の衝撃(運動エネルギー)は体重の軽い方が少ない。
運動エネルギー(J) = 1/2 × 質量(kg) × 速度(m/s)の2乗

救急隊が到着するまでダイアナ妃の応急処置として、医師と一人のカメラマンが奮闘していたが、それ以外のカメラマンたちは写真を撮っているだけだった為にフランス警察に逮捕されたらしい。(殺人罪と緊急援助義務違反の容疑)

別記事では、、、
ひしゃげた車からダイアナ妃を救出する為1時間かかっていたとあります、そうなると各所から出ている証言に色々と矛盾がありそう。

事故現場の「アルマ広場下のトンネル」

2017年に新たな情報
1997年の事故ですが、この事故を起こした車(メルセデス・ベンツS280)は1994年に別の衝突事故を起こしており、当時の保険会社は修理不能と判断され廃棄予定でした。しかし何故か廃棄される事なく修理され販売されていたという噂があります。
運転手や、その警備会社としては、車自体の販売経路、突然ブレーキ、アクセル、ハンドルの不調が発生した可能性も含め運転手の過失はそこまで無いと、棄損された名誉の回復が望める内容だったのではないでしょうか。

暗殺?
イギリス王室絡み、離婚の翌年に事故死、と聞くと事件性の可能性は?と憶測を巡らす方もいます。
なのでダイアナ妃レベルの影響力のある人の事故は「何者かによる企てによった計画的な事件なのではないか?」と言われてしまうのも仕方のない事なのかもしれません。

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